端午の節句について2(鯉のぼり・柏もち等)

端午の節句行事の風景を想う時に、五月の空を元気に泳ぐ鯉のぼりと柏餅は欠かせませんよね。この二つも江戸時代に入ってから現れた風習だと言われています。



来歴・行事等に少し詳しく書いて居るのですが、端午の節句「上巳の節句」と並ぶ病気・厄災を払う日として周代から行われていた記録があり、日本でも推古天皇の時代(7世紀初頭)に薬草刈りを行った記録が残っていて奈良時代には、宮中の正式な行事として位置付けられていたことは、ほぼ間違いありません。ただ、昔は旧暦で行われていた行事なので、現在の季節感覚とは違っていたりします。また、行事自体が原形から変化し、今では行われない物も多くありますし、時代推移もあるので、もしお時間に余裕があれば来歴・行事等から目を通して頂けた方が判り易いかもしれません。



さて、鯉のぼりの由来なのですが、これはほんとに諸説あってどれが正しいとは言えないのが現実ですので、あくまで私の知るところだと思って頂ければ幸いです。



端午の節句飾りは最初は尚武の昂揚のため、武家屋敷の門や塀などに本物の幟を立て、梅雨前の手入れを兼ねて、本物の鎧を飾ったりしていたようで、その風習が庶民層に広がったとの説が有力です。そこに鯉のぼりが加わってゆくのは江戸中期以降だと言われています。



鯉を模った幟は、最初から今のような形態であったわけではなくて、紙製の小さなものであったようです。それも独立したものではなく、幟の「麾(まねき)」として小旗の代りに結んだのが始まりだと言われています。「麾」と言うのは、幟の上部の横竿に付ける小旗で、古くは経文や護符や吉言が書かれていて、幟に描かれている一族の紋所に武運と栄を招く物であったようです。



横竿付きの幟は、「旗指し物」を原形として武家の印として発展しました。 これは図示すると 型なのですが上部に竿を用いる幟も、現在は神社の祭礼等で見かける 型が一般的な幟の原形で、武家以外の貴族や庶民はこちらの形を幟として用いていました。型の幟が一般化するのは、節句飾りの一般化と歩を共にしたのと説も有力だったりします。



「麾」に鯉を模った物を結ぶようになったのは、「登竜門」の故事、すなわち、「鯉は黄河上流、龍門の急流を登れば龍になって天に昇る」にちなむのは言うまでもない事なのですが、「麾」以前にも幟自体に鯉の図を描く事は広く行われていて、幟の図−麾−鯉のぼりへ変遷したのではないかと言われています。また、武者飾りや武ばった飾りは庶民の外飾りとしては憚られたので、麾に結ばれた鯉であれば堂々と飾れるため、一挙にこの風習が広まり、大型化していったようです。時代的には安永(1772〜1780)年間頃の資料から散見されるので、この少し前頃からではないかと思われます。



さて、もう一つの端午の節句に欠かせない「柏もち」なのですが、「柏の葉」は元々は地方によって違った種類の木の葉であったようです。「かしわ」という言葉は、「炊(かし)ぐ葉」に由来すると言われ、食物を包む葉の総称だったので、食器の代用となる葉、あるいは腐敗を防止遅延させる葉をすべて「柏葉」と称していたようで、その葉で包まれた餅の類の総称として「柏餅」が各地に存在していたようです。



種としての「柏」は「ブナ科の落葉高木。実はどんぐり状の堅果。樹皮を染料とし,葉は食物を包むのに用いる。(新辞林 三省堂)」なのですが、これが端午の節句と結びついたのは、「新しい葉が育つまで落葉しない性質が、子孫繁栄と長命祈願、そして円滑な代替わりを祈念するめでたい葉」とされたようなのですが、これもなんだか採ってつけた様な理由と言うか、宣伝の成功例のような気もしています。



現在は、「柏」の他に西日本中心には「アカメガシワトウダイグサ科の落葉高木。高さ 10m に達する。昔,葉に食物を載せたので御菜葉(ごさいば)・菜盛(さいもり)花の別名がある。(新辞林 三省堂)」の葉を使った柏餅もあります。薄手の香りの強い葉はこちらなんですよね。その他にも「山帰来(サンキライ)=ユリ科・昔は毒消しの実として使用されていた。つる性植物の落葉低木で2mくらいまで成長。茎には刺があり、他の植物に絡み付いて自生する。(植物辞典 集英社 )」など、様々な葉が使用されているようです。



柏餅が端午の節句と結びついて登場するのは、鯉のぼりよりは少し早くて、寛永年間(1624−44)より後ではないかと言われいますが、「守貞漫稿」に は 「其製は米の粉ねりて円形扁平となし、二つ折りとなし間に砂糖入,赤豆餡を挟み、柏葉大なるは一枚を二つ折りにして之を包み、少なるは、二枚を以て包み蒸す。江戸にては砂糖入り味噌をも餡に交る也。赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裡を出して標とする。(岩波文庫版「近世風俗誌」より引用)」 とあり、江戸末には、ほぼ現在の形態となっていて、一般に浸透していた事が判ります。



端午の節句もそうなのですが、古来から続く年中行事には先人の知恵が詰まっていると同時に、日々の暮らしの中で忘れがちな自らと、そして家族や近しい人々との関係を振返る節目でもあります。幼い頃に訳も無く嬉しくて見上げていた鯉のぼりを、思い出す日にもしたいなぁって思ったりしています。




*付記

比較的認めれている説を中心に採っていますが、中国と日本の文化や祭礼・神祇の相関ついては諸説あります。また室町末期−江戸初期の民族資料は同時期であっても表記内容に差異が見られ、資料としての真贋評価が一定でなかったりします。興味をお持ちの方は是非専門書等をお探し下さいね。