二八そばについての考察or辞書・辞典を疑ってみる。

灯かりを点けましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花。白酒美味いなぁ、うぃヒック。
あっ、失礼しました。色は白いんだけど、どぶろく飲んでました。なので今日の記述は酔った上での放言ってことで。酔った上の事ですよ、酔った上の。ってまことに日本的なリスクへッジから始まった今日の日記です。<=おい!

何か言葉を調べる時、私も辞書を使います。ところがどっこい、自分の専門分野をある程度掘ってくると、辞書の曖昧さと言うか、えーかげんさに愕然とする事があるんですよね。

前にこの日記でも「花魁」について、ちょっと辞書と古文書の関連について書いたのですが、今日は江戸とは切っても切れない、二八蕎麦についてちょこっと触れてみますね。

二八蕎麦、あるいは二八けんどん蕎麦について辞書を引くと、角川の大言海と日本国大辞典以外は、価格が16文なので2×8=16文説を第一に挙げていて、副次的に蕎麦粉と繋ぎのうどん粉の比率が2対8だと説明しています。

この説に力を与えているのも、やっぱり「守貞慢稿」に天保(1764〜1780)の蕎麦屋の品書きに「そば16文」とあることなんですよね。さすがに角川の大言海と日本国大辞典は「一説」としてしか掲載していないんですが、中型以下の辞典は、まるでそれが定説であるように記載しています。

では、配合比率が正しいのかと言うと、多くの絵や図説に「二八うどん」「二八にゅうめん(温かいそうめん)が描かれていることは今では広く知られていて、現在に於いては,蕎麦粉十割の蕎麦に対して蕎麦粉8割、他2割の二八蕎麦と言う呼称はありえても、江戸期の「二八」は配合割合では無い事は、傍証を含めて食物史をかじった者なら当たり前の事が、辞書には未だに反映されていないって言う、とんでもない状況になっています。

あっ、眠くなったので今日はこれまで。続く予定。あくまで予定ですが<=こらこら